松下昇~〈 〉闘争資料

2008-11-25

この条件でならコピーしても良い!

それぞれの表現が交差している関係性(・・・・・・)の枠を包括的に突破していく動きの過程でならば、いつ、どのように開示してもよいと、そのとき原表現は原表現過程として生き始めるのではないか。

(87.1.29付け 松下昇 k宛書簡)(同パンフp17)

昨日、岡山のk氏から分厚いパンフが届いた。書簡集<4>に相当するもの。

そのなかの一行を引用したい。

松下の「テキスト」を複写し公開しているのだが、それは複写し公開するに耐えるだけの文学哲学的状況的価値があるからそうするわけではない。

では何によって許されるのか?

「それぞれの表現が交差している関係性(・・・・・・)の枠を包括的に突破していく」という動き自体として、複写は行われなければならない。


ブログをやっていて分かることは、文章は情況に投げかけられ情況を作っていくものだということだ。ネットならでは匿名ならではの無責任性、軽薄性、根無し性があると指摘されるだろうが、それは本質的ではないと野原は考える。

この文章における関係性とはまず第一に、あくまで具体的な関係性を考えるべきであろう。

一方、文章を投げかけていく情況と読み解くこともで、得られる示唆も多い。

ゲスト



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